トヨタテクノミュージアム産業技術記念館を訪ねて

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2012年頃、産業技術記念館の見学に行きました。

車のトヨタは豊田佐吉さんが1924年G型自動織機を発明したことから始まった、ということを初めて知りました。

機織り機というと古いイメージですが、

当時の産業近代化が進む中、最先端が自動織機の開発だったのですね。

機織り機の歴史的変遷(手織りから空気で横糸を通す機織り機まで!)、

紡績機の歴史的変遷(手紡ぎ、ガラ紡からリング精紡機まで)、

ワタの繊維を整える製綿機もあるし、篠(スライバー)を均一にする装置もあるし、

繊維マニアなら1日過ごせそうなウキウキする展示でした。

もちろん自動車の展示もあります(というかそちらがメインですが。)

 

リヨンで見た機織りでは色糸を使って模様を織り込むのに、

複雑な模様で手作業で1日約8cmしか織れないものがあると聞きましたが、

産業技術記念館にある自動織機は写真をそのまま織物にして1分少々でした。

技術の進歩には目を見張るものがあります。

手織りで可能で、機械で再現できないものもあると思いますが、

大抵のことは機械の方が正確で早い、そんな中、

伝統を残していくというのは、何を残してゆくべきなのでしょう。

手織りの価値はどこにあるのでしょう。

自分が手織りをしながら思います。

 

石油が枯渇したとして、動力が今より手に入らなくなれば、

手織りはまた必要になると思います。

しかしその時のために技術を残す以外に何か価値はあるのでしょうか。

私のやっていることはいったいなんなんだ?ただの自己満足なのか?

そんなことを思った1日でした。

 

トヨタテクノミュージアム産業技術記念館

名古屋市西区則武新町4-1-35

 

八尾市立歴史民俗資料館を訪ねて

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2011年に八尾市立歴史民俗資料館を訪れました。

江戸時代に有名だった河内木綿、その当時の貴重な歴史資料をそのまま展示されています。

糸車や綿繰り機ばかりでなく、

藍染や機織り体験のイベントも開催されています。

平成29年10月21日(土)、22日(日)には第九回 河内木綿まつりが行われるそうです。行ってみたい。

実際に和綿の栽培も行われており、河内木綿まつりでは収穫体験ができるそうです。

 

江戸時代から明治時代にかけて、八尾市は有名なワタの生産地でした。

封建的社会経済体制により、当初、田畑勝手作は禁じられていたものの、

イネと比較してワタは単位面積当たり約2倍の粗収益があったことから、

ワタ栽培は急速に広まります。

最盛期の河内国平均でワタ栽培は約半分の面積を占めていたそうです。

さらに当時はワタから手紡ぎ、手織り加工された河内木綿は

実綿に対して、約1.7倍の価格となり、高く買い取られていました。

 

今でこそ、ワタの価格は安く、

日本での栽培はほとんど行われていませんが、

当時はお金が儲かるから、ワタ栽培だったのですね。

 

参考:武部善人. 河内木綿史. 吉川弘文館. 1981.

マニ・バワン・ガンジー博物館を訪ねて思ったこと

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糸紡ぎといえばガンジー。
ということで、インド、ムンバイのガンジー博物館に行きました(2011年)。
ガンジーが実際に暮らしていた家です。
書斎に、糸紡ぎ部屋に、非常に趣があります。

当時、イギリスの植民地となったインドは綿花を輸出し、イギリスの織物を輸入していましたが、ここに貧困の原因がある、そうガンジーは考えていました。
機械化によって伝統的な手織り産業は破壊され、失業者は増える一方。これに反対し、
自国で栽培された綿花を使い、
自ら糸を紡ぐことで、自立した愛国運動を展開します。
戦うのではなく、ただイギリス製品、工業品を使わない。
糸を紡ぐ作業は一見地味ですが、
非暴力、不服従の精神はここに宿っていると思います。

知らない国の誰かのものより、
自分もしくは隣の人が作ったものを着る。
誰も苦しめることなく、身近な人への愛を紡いでいく独立運動。

お金さえあればなんでもできてしまいそうな現代で、
どこから来たのか、誰が作ったのかわからないものに囲まれて生きる私たち。
どこかの誰かの貧困を生んでしまったかもしれないものたち。
ガンジーに見習い、変えるべきは自らの生活なのかもしれません。

Mani Bhavan Gandhi Museum
19 Laburnum Rd., Gamdevi Mumbai

 

西陣織会館を訪ねて

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西陣織、京都へは5、6世紀頃渡来人が住み着き、織物技術が伝えられました。平安京へ遷都してから、朝廷へ献上するための高級織物が栄えます。

私の中で西陣織りの勝手なイメージはセレブ妻です。
例えば上田紬は農家の素朴な衣類が源流にあるのですが、
西陣織りは朝廷が主導で、職人が織る豪華な美術品です。
皇帝が主導で進めたリヨンの織物と発祥が似ているように思います(もちろん西陣へはリヨンから技術が導入されています)。

ーー

西に西陣、東に桐生の、西陣織会館に行ってきました(2012年頃)。

人人人です。国内の他の見学地とは比べ物にならない。
そして、お客さんのほとんどが外国の方。中国韓国タイなどのアジア系の方が多いでしょうか。駅から徒歩10分ぐらいはかかるので、おそらくバスツアーで来られたのだと思います。
着物ショーが毎日開催されるのが目玉なのか、カメラを持った観光客で黒山の人だかり。

二階では西陣爪掻本綴織を見学できます。
爪でおる織物は非常に繊細で、金色の糸も用いられ、豪華絢爛。
日本が誇る高級美術織物です。
複雑な模様では1日1センチも織れないほど繊細なものだそうです。

見学当時は組紐作成の様子も見学できたのですが、
今もしているのでしょうか?
映画「君の名は。」でヒロインが組紐で髪の毛を束ねていた影響で、組紐はちょっとしたブームですよね。

非常に広い施設で、お土産物もたくさんあります。
建物自体は風情がある感じではないのですが、やはり京都で、団体で行けて、お土産物が買えて、着物ショーや機織りの見学ができて、アジア受けしそうな金色の豪華な織物で・・・といろいろな条件が重なって、人気だったのかと思いました。

 

海外からの観光客の方ばかりでしたが、
高価な美術織物として、日本人なら死ぬまでに一度は見ておくべきものと思います。

桐生織物記念館 織物資料展示室 を訪ねて

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桐生織物記念館を訪ねました(2013年頃)。
小学生や中学生の社会科見学によく使われる施設でしょうか。
資料の漢字にふりがなが打たれていていいカンジです。

桐生で織られる紋織物の種類7種類(お召織、緯錦織、経錦織、風通織、浮経織、経絣紋織、捩り織)の解説まで詳しくされています。
こんなたくさん織り方があったなんて知らなかった。

織物参考館 紫」は情緒風情が漂っていた場所でしたが、
こちらは情緒を味わうよりも知識をがっつり得たい人にオススメの場所です。

建物の1階部分が物品販売で、2階が資料展示でした。

私の中で、桐生のイメージは流行を次々取り入れるJKというカンジです。西陣の技術だったり、フランスのジャガード織り機だったり、当時の最新技術を次々とりいれることで発展していきました。水力八丁撚糸機は桐生発ですが、それ以外は技術開発よりも技術導入に長けていたように思います。
流行りに敏感な土地なのでしょうか?

桐生織物記念館

群馬県桐生市永楽町6-6

桐生、「織物参考館 紫」 を訪ねて

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1300年の歴史を持つ桐生織物。西の西陣、東の桐生といわれ、日本を代表する織物です。
特徴は水力八丁撚糸機で強い撚りをかけます。

非常に大きな織り機や歴史資料など様々な展示物が置かれているだけでなく、
コンピュータージャガード織り機が動いていたり、
飛び杼での機織りが体験できたり、織物マニアには大変楽しめる場所です。
特に飛び杼で機織りをしたのは初めてで感動しました。杼を飛ばす力加減がなかなか難しかったです。

お土産にジャガード織りのあれをもらって、大満足です。
(名前なんでしたっけ?)

ジャガード織りのあれ
ジャガード織りのあれ

 

織物参考館 紫

群馬県桐生市東4丁目2番24号

(訪れたのは2013年ごろなので変更されている可能性もあります)

追記:

あれの名前は「紋紙」です。

福島県昭和村からむし栽培・加工見学

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2013年
美しい自然がのこる昭和村。透き通った湧き水と綺麗な空気に心癒されます。

1年に一度行われる、からむし織の里フェアに参加しました。

からむしというのはイラクサ科(Urticaceae)の植物で、別名苧麻ともいいます。
意外とその辺に雑草として生い茂っていて、邪魔物扱いされています(残念)。
からむしは靭皮繊維(bast fibers)といって茎の部分を繊維として利用します。
茎が太すぎると靭皮繊維の割合が小さく、茎が細すぎると倒れてしまうので、
植えるときの密度も重要です。

苧麻栽培