藍建4日目〜中石の判断方法〜

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朝夜1回ずつ攪拌。

また匂いが変わったような。

ちょっとカビ臭いような・・・心配。

中石の判断方法だが、

液の表面がギラギラと紫がかる、

だけど、初心者にはちょっとわかりづらい。

色々と調べた結果、

「ティッシュペーパーを染料液に浸し水洗し、青くなったとき」(川人美洋子. 2010. )というのが一番わかりやすい。

 

夜の攪拌前にティッシュをつけると薄く青づく。

また攪拌に使っている菜箸が恒温槽(ただの発泡スチロールに溜まった水)に落ちる。げっと思ったが、こちらもちょっと青く染まっているよう。

 

ネットサーフィンで心を整え(?)中石を決意。

 

灰汁をビンの2/3まで加え、石灰を液上、ビン側面(今更)にぱらぱら。

石灰は液上にぱらぱらがよさそうですね。攪拌したときにビンの側面の消毒になりそうだから。

 

混ぜると・・・

もこもこと泡が立つではないか!!おおおお!!と大興奮。

4L果実酒ビンではじめるミニ灰汁発酵藍建

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昨日からミニミニ藍建を始めました。
部屋の中から異臭がします・・・。どうか通報しないでください。

まず1週間程度かけて、灰汁取りをします。

ビンを熱湯消毒(急な温度変化で割れないように少しずつ熱湯をかける)、発泡スチロールに30度ぐらいのお湯を張りサーモヒーターで恒温状態にして、ビンを湯煎。(通常サーモヒーターは流水中で使用するもののため、後から確認するとヒーターちょっと焦げていた。あかんやつや。)

1.仕込み
すくもに沸騰させた灰汁(すくもがひたひたするぐらい)をいれ、こねます。
沸騰させた後少し冷めたであろう灰汁をビンの1/3ぐらいになるよう足して、石灰、酒も入れて混ぜました。

11/19中に数回まぜるはずが、寝落ち、、、攪拌はその後1回のみ。

翌日11/20、朝:1回攪拌、昼:液体があまりにどろどろのため30度の灰汁でビン半分までかさ上げして攪拌、夜:1回攪拌。攪拌後ちょっとぶくぶくしているようなしていないような・・・。

「反省点」
・最初藍を練ったあと手袋のまま攪拌していたが、手袋やビンにすくもが飛び散りロスが多いため、菜箸でやるべきだった。
・すくもの量がおそらく多すぎたため、あまりにドロドロ。次はすくもの量を減らそう。通常この時点でかさ上げは必要ないはず・・・。
・ビンを熱湯消毒するなら、菜箸や温度計も消毒するべきだった。
・石灰はビン全体につけるべきだった。(ビンの縁についたすくもとかがカビそう)

・pH試験紙を液体につけてみるが、すくもの色で着色してしまいよくわからない。やっぱりpHメーター買うべきか。

「気をつけてみたこと」
・ビンを殺菌する、なるべく雑菌が繁殖しないようにする

アルスシムラでは藍建を新月から始めるそう。月の暦にあわせるなんてロマンがありますね。バイオダイナミック農法みたい。

アルスシムラでわからないところを少し教えていただいたり、ネットの情報を検索しまくったり、試行錯誤しています。

私も新月の翌日に始めました。
うまくいくといいな。

[仕込み具材]
すくも(藍熊染料で買いました)
消石灰

灰汁
[道具]
4L果実酒ビン*ガラス瓶は絶対使わないように!強アルカリのためかビンが割れ失敗しました。*
菜箸
pH試験紙(pH10-12)
サーモヒーター(熱帯魚用、35度までいけるやつ)
発泡スチロール

国立民族学博物館を訪ねて

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大阪、国立民族学博物館へ行って来ました。

世界の衣食住にまつわる道具や映像資料などが展示されています。
屋台の一部や謎なオブジェなど、初めて見るものがたくさんあって、
まるで世界旅行しているみたいにわくわくしました。

特に民族衣装は面白いですね。
色使いやデザインが違っているのはもちろんですが、
海辺の民族だったら、貝殻を用いたり、
ペルーの山岳民族だったらアルパカの毛を用いたり、
ヨーロッパだったら亜麻の繊維を用いたり、
原料にも地域性があらわれています。

昔々、今みたいにモノがあふれていない時代でもオシャレはあって、
模様をつけたり色を変えたり、小さな工夫をしながら、生活を潤していたのだと思います。

衣料を作るのも生活の一部だった時代から、
グローバル化で遠いところからなんでも買えるようになりました。
分業化は進んでいく一方で、
一人一人の創造力は落ちているのかもしれません。

決して美しい美術品ばかりではない生活の道具、
グローバル化で失われるもの、残っていくもの、
一つ一つが愛おしくなりました。

 

国立民族学博物館
〒565-8511 大阪府吹田市千里万博公園10-1

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八尾市立歴史民俗資料館を訪ねて

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2011年に八尾市立歴史民俗資料館を訪れました。

江戸時代に有名だった河内木綿、その当時の貴重な歴史資料をそのまま展示されています。

糸車や綿繰り機ばかりでなく、

藍染や機織り体験のイベントも開催されています。

平成29年10月21日(土)、22日(日)には第九回 河内木綿まつりが行われるそうです。行ってみたい。

実際に和綿の栽培も行われており、河内木綿まつりでは収穫体験ができるそうです。

 

江戸時代から明治時代にかけて、八尾市は有名なワタの生産地でした。

封建的社会経済体制により、当初、田畑勝手作は禁じられていたものの、

イネと比較してワタは単位面積当たり約2倍の粗収益があったことから、

ワタ栽培は急速に広まります。

最盛期の河内国平均でワタ栽培は約半分の面積を占めていたそうです。

さらに当時はワタから手紡ぎ、手織り加工された河内木綿は

実綿に対して、約1.7倍の価格となり、高く買い取られていました。

 

今でこそ、ワタの価格は安く、

日本での栽培はほとんど行われていませんが、

当時はお金が儲かるから、ワタ栽培だったのですね。

 

参考:武部善人. 河内木綿史. 吉川弘文館. 1981.